プロフィールを書く必要があったのでPCを使うようになって以後の活動を纏めました。
K!Sでしてきた事など自分のサイトに関わらぬ事は省略しています。
1991年
Niftyserve入会 使用機器は富士通のワープロ"オアシス30AD"
スペースフォーラム、歴史フォーラム、ディフェデンスレビューフォーラム、 金融プロフェッショナルフォーラム等を徘徊。
たとえぱ、こんなことをしていました。・・・私のプチタイムトラベル
*このときに「知り合った(?)」人々が開設した個人サイトは、承諾の連絡を頂いた上で積極的に下記LINK集に収録しました。
http://mojiko.com/UOZUMI/link.htm
私の書いたりしたものの一部は「変痴奇論」と称して以下に掲載中
http://mojiko.com/UOZUMI/WARD/1.htm
博多で見たphotoshopの実演に衝撃を受けるも、Macの価格にも衝撃を受け購入は断念。ただし、同時期にwindows3.1版photoshop2.5Eが発売されたのを奇貨としてPCを購入。Macを知らないフォトショッパーという珍奇な存在となる。
この頃に仕事で作ったチラシやOHPの類はこちらからご笑覧ください。
niftyFGRAPHICに入会。
アスキー社発行の「TECHWIN」10月号付録CDに作品SUN'S SNEZE-太陽がくしゃみをした-が収録される。
*上記FGRAPHICのデータライブラリーで公開した作品
当初はasknet,asknetが北九州から撤退後はmesh(biglobe)。
マイクロソフトのホームページコンテストで入賞するも、著作権 一括譲渡の要求を受け拒絶、受賞辞退。
その後、数度の折衝の結果マイクロソフトは自社コンテスト の募集要項の誤りを認め謝罪。全入賞者から提出させた著作権譲渡の誓約を破棄、改めて著作権使用承諾を求める旨を来北して私に説明。
詳細は以下で
http://mojiko.com/~UOZUMI/MS/ms_723.htm
*辞退した時は心細かったです。「訴えられるのではないか」とか色々考えたりして。
そんな頃、薄暗い出納室で埃にまみれて小銭を数えていると、品川萬里氏(当時の郵政審議官)から「頑張れ」 と電話をもらったり、当時この件を取材された毎日新聞の前田記者から「何かあったら新聞社はあなたを守りますよ」と言ってもらったり、
加藤直之氏やFGRAPHICの方々、伊藤洋一氏はじめFKINYUで知り合った方など、ネットの内外で数多の方からの応援をもらいネットワーカーという存在の横の連帯感に随分勇気づけ支えられました。
今では考えにくいでしょうが、そういう"気分"が溢れていた時代だった、と振り返って思います。
ところで、この事件が縁で、この年の関門海峡花火大会では当時のマイクロソフトの動画配信技術"ネットショー"によるインターネット生中継がイマクロソフトとKIS協同により実現しました。
ネットショーの利用は、たしかアジアでは「香港返還記念」の大花火大会の次、日本では初の生中継だったと思います。
niftyFGRAPHIC会員有志が開催した「絵風蔵展97秋」に出展。
http://mojiko.com/UOZUMI/mygraphic.htm
同「絵風蔵展98春」に出展。
*サイト閉鎖、自分のコンテンツだけは再公開しようと準備中
「心肺蘇生術」マニュアルサイトの開設
http://mojiko.com/UOZUMI/abc/
*最初はniftyで開設。niftyでは度々動画配信サイトの好例として紹介される
ドメイン取得のブームに乗って"mojiko.com"を開設。
ネットという敷居の低い情報提供技術を使い、徒手空拳の一個人がどこ までのことができるかの、身を挺した実験が始まる^^;
(その割には一向に痩せないのだが・・・)
きっかけは「誰もやっていない」「私には可能である」「では私がやらねばならない」優越者の義務観念の単純な三段論法・・・。
ここから、門司港紹介と門司港を豊かにしてくれる人やイベントの手伝いに活動の中心を絞ろうと考える
(それ以上は手を広げる余裕がないため)
秘めたる希望は、「ベンチャービジネスにおける"エンジェル"*1のような存在になれれば・・・」
*http://mojiko.com/topix.htm のお手伝いしてきたことやイベントなど・・・ をご覧ください。
上のように「門司港に骨を埋める」といわんばかりのことを考えながらも、しかしながら、最初のコンテンツがピカソというプロのバンドのライブ配信であり、一部のファンから「まさかネットで見れるとは!感涙モノ!」と喜ばれたのだから、既に最初っから方針は破綻して何でも屋になりかかっていた。
門司港郵便局コミョニティルームでの花野文男氏の写真展を支援。
この年と翌年にかけて、同局コミュニティルームの管理者として、会場利用者の支援に奔走。
利用者がいない時期は、自分の作品を提供しての常時常設展示・プレゼント企画等を行う。
また、「郵便局だより」という情報誌の制作も一手に引き受ける。(当時の発行部数は3000)
門司港郵便局のwebサイトも制作。こんな感じのwebサイトでした。
(夏休みの時期になるとコンテンツの一つ、このページにアクセスが殺到します)
追伸
ベンチャービジネスにおける"エンジェル"
とは、ベンチャービジネスが起案されて企業として軌道に乗るまでの資金・経営の支援を行う投資活動のことです。「キックアップさせる」という言葉があった、と思います。
(東京には、井浦氏率いるそのものずばり「日本エンジェルインベストメント」という会社があります。)
私は、投資家になれるお金はありませんが、私が提供できるものは提供して、少しでも門司港を創作や発表に居心地の良い場所にできれば、と思っています。
「おもちゃでアート」に参加
http://www10.bird.to/~session/session_toyart/indexx.htm
門司港郵便局には、「ぱるる」というギャラリー空間があるのですが、当時これを預かっている身として、単なる会場貸しの待ちの姿勢ではなく、企画段階から参加し広報まで含めて全面的に支援してみたい、という希望をもっていました。
この日本初のトイカメラによるワークショップは、その構想を形にできた一つのモデルケースになりました。(別に誰の参考になったわけでもないのですが^^:)
mailnews「日刊デジタルクリエーターズ」(配信約20000件)に月一回エッセーの連載を半年続ける
こちらにあります(http://mojiko.com/UOZUMI/WARD/1.htm
)
8月 前年の「モザイク展」に引き続き、「門司で文字展」のお手伝い
10月 「フォーリンTVマガジン」創刊号で紹介される。
瀬上貴司「東京コレクションin門司港 記憶 」に参加。ポスター用映像撮影等映像面全般及び各種web作成。
門司港スタイル結成
http://mojiko.com/mojiko_style/
*この年、職場は人事異動で首脳部が替わり、メセナ的活動について殆ど関心がない職場になり心中強く反発。
*その分、「記憶」等、全き個人としての活動にのめり込む。結果として、それでよかったのだと思う。
*郵便局は郵便局。門司港は門司港。私は私です。
http://www.sanyo-dsc.com/take/magazine/finder025.html
5月 井筒屋ニュークリエーターズコレクションに参加
http://mojiko.com/mojiko_style/2001GW/index.htm
門司港スタイルのイメージ画像は私の撮影した映像。
これが井筒屋全館に張り出されていたのは、うれしいようなこそばゆいような気持ちでした。
ケーブルテレビJ-COMから取材を受ける
(番組の模様、勝手には流せないので、公然と公式コンテンツは置いていないのです・・・)
3月に申請した参加申し込みが認められ、6月よりインバク(インターネット博覧祭)に参加。
インパク終了後、幼稚園時以来久しぶりの表彰状(感謝状)を竹中大臣名で頂く
「門司を聴く 郷の音展」のお手伝い(ポスター用画像撮影・上映作品用動画撮影等)
http://mojiko.com/event/hibiki.htm
「記憶」でごいっしょした時政君のライブを手伝う
http://mojiko.com/event/01_08/0804tokimasa.htm
「一ヶ月で書いて欲しい。可能ですか?」と再び柴田編集長から依頼され、アゴスト社の「大人のためのパソコン絵画」のDVについての一章を担当する。
この本は 12月に世に出るも、北九州の店頭で見たことが二回しかない^^;
http://www.agosto.com/
「若松今昔物語 -洞海湾の落日朗読会-」参加
http://mojiko.com/wakamatu/
NHKに取材を受ける。
5/4、福岡・北九州両放送局で製作の「知っとお福岡」に「門司港を二十年間撮り続けた人間」ということでスタジオトークのゲストとして生出演。
(番組の模様は、勝手には流せないので、公然と公式コンテンツは置いていないのです・・・)
瀬上貴司君の「門司港交響曲」を門司港スタイルとしてバックアップ
http://mojiko.com/mojiko_style/020505info/info.htm
ユースフォーラム「集(チプ)」の第一回イベントを取材
http://mojiko.com/020613chip/
加藤さとる先生のコンサート「世界にむけて平和の歌を 〜天使にラブソング〜」を取材
門司港路地裏の芸人ライブを取材
秋〜冬 久しぶりにさび付いた金融マンとしての勉強を、と思い立ち
RPテック社の金融リスク基礎講座を受講。何とか落語せずに受講終了。
http://www.rptech.co.jp/netschool/
成績は・・・って、聞かないで^^;
(じりじりと平均点バーへ収束する右肩下がり。ボロが出たか、というところで受講終了でタイムアウトに逃げ切り)
1月 「海峡の風 津軽〜関門」というミニ写真展を久しぶりに門司港郵便局のコミルームで主催。
会場の模様は、門司港NOWのこの時期の過去ログを。
5月 誘われるままにビンホールカメラの写真展「スローフォト」とワークショップに参加。
当初は会場を探しているという相談を受けたのですが、門司港に頼みにできるところがなく、小倉のつじり茶屋さんに泣きついて会場を提供してもらいました。
http://www.art-photo.com/wppd/index.html
因みに私の作品はこちらでご笑覧ください
8月 徒手空拳の個人が地域の紹介をする活動に不毛さを感じ、地元を紹介する活動・他者を支援する活動についてトートツに終焉を宣言。
9月 RPテック社の"EXCELで学ぶ市場の数学"講座を受講開始。テキスト最初の1ページ目の数式を見た瞬間に後悔と先々の困難さに鼻血が出そうな思いをする。
結局、最初の週で脱落してしまいました^^;
10月
妻と川村さんの二人展「アートな生活」のお手伝いを若干行う。
妻のサイトminato-kanmon.netの、「ワールド・アートギャラリーin京都」への参加のため京都へ。
京都の映像はこちらへ
ブルガリア日本文化月間行事の一環「ブルガリアCG展」で「梅が枝餅屋の人々」が展示される。(この作品)
地の果て海の果てブルガリアで作品が展示される。それで何か益があるか、と言われれば、ないのですけど・・・でも、まぁ現状では数少ない慰めに^^:
しかしブルガリアの人に分かったのだろうか・・・?
2004年
再びトートツながら、活動再開を決断する。「やめないでほしい」と言ってくれた方々に感謝m(..)m
以上が2004年 1月時点での魚住のプロフィールです。